駐在帯同日記(アメリカ・ドイツ)

7歳と10歳まで日本産まれで日本育ちの息子達と過ごす、駐在帯同者のつれづれ。

子育てで、育てられ・・・

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子どもの創造力と行動力は自由だと見ていて思う。ほんと、うらやましい限り。アイスホッケーを観戦した後には、もう自分は選手のつもり。ほうきやモップを片手に、インラインスケートブーツを履いて、テニスボールでホッケーごっこが始まる。この創造力の柔軟さと行動力の素早さたるや、「好き」と「興味」がつながったら最後、あっという間である。日本でも、アメリカでも変わらない二人。

 

そんな若い2人を横目に、だんだん腰が重くなるわたし。自分が産んだのは事実なんだけど、そうはいっても彼らが産まれたその日から、自分の思い通りにならないことばかり。相手の子どもたちも意思がある1人の人間なわけなので、彼らがわたしの思い通りになるというのはそれこそわたしのエゴでとんでもない思い上がり。わたしの思い通りになる訳がないというのが当たり前と言えば当たり前の事であるが、はあ。これらは日常であるがゆえに、冷静になれないこともある。子どもを産んでいようがいまいが、オトコだろうがオンナだろうが、仕事してようがしていまいが、この世に生を受けて、「今この時を生きていられるだけで幸せだろうよあんた」って自分につぶやくのだけど、なかなかそう簡単に受け入れられない事もあり。

 

教育に答えなんかあるはずもなく。もしも羅針盤があるとすればそれは、各々の家庭の方針であり、答えは目の前の子どもが教えてくれるだろう。バイリンガルの失敗とか、成功とか、そんなの当の本人には余計なお世話だと思う。それ決めるの、本人でしょうが。他人にとやかく言われる筋合いのものでもないし。親だって子育てのプロじゃない。初めてのことだらけ。そりゃ、日本人で日本の学校でまともに学習している人たちと比べるなら、我が家の子どもたちはこの1年で、日本語学習能力は落ちていること間違えない。しかも、8才の次男に関してはそれが顕著。だけど、その分英語でのリスニング・スピーキング・ライティング・リーディング能力については想像以上に伸びた。とはいえ、学校で英会話を学んでる訳ではない。特に小学校高学年の長男は「英語で教科を学習する」訳だから、学習能力を同じクラスの子どもたちや全州の学力と比較したら基礎的な読解力まで追いついていない分成績は芳しいわけもなく。そう。わたしが勝手に危惧しているのは、日本語も中途半端、英語も中途半端なアイデンティティークライシスを抱えた人間にならないかってこと。こういうことを考え始めると、いつも比較、比較、比較で嫌になる。評価という数字は、簡単に人を納得させる魔力を持っているし、分かりやすいからね。そしてそういう比較をしている時、わたしは不機嫌になり、それを子どもにぶつけてしまう。そして、自己嫌悪になり、子どもに謝るそんなことをこの1月から繰り返している気がする。いい加減本当にその負の連鎖を止めないと子どもたちに申し訳ないと思う。

 

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アメリカに住んで1年になるけど自分のアイデンティティーはしっかりと根付いていてそれを表現する手段を11才男子は持っていた。公立学校での作品。彼らは、はじめての異国での生活に思い切り飛び込み、友達を創って生き生きと毎日遊んでいる。家に帰ってからも、いつも誰かが遊びに来ている。みんな喧嘩もするし、泣くし、笑うし、怒るし、で、気づけばなんか創ってるし、彼らはそれで充分じゃんね。何をそれ以上わたしは彼らに期待しているんだろうと、気持ちが落ち着いているときはそう思う。人間的にも、自然環境的にも、のびのびとした日本にはない環境を小学生のこの時期に彼らが謳歌できることは本当に幸せだと思う。そして更に驚く事には、ドイツに引っ越しても公立の学校に通いたいと言う。「分からない事だらけだから、おもしろいんじゃん」って、2人揃って言う始末。まじで、すごい。この人たち。わからないことだらけだから、心配もあるし、心細いんじゃんって、言葉には出さないけど心で思う40過ぎたオンナ1人。

 

結局、彼らに何かを期待するのではなく、わたしはわたし自身に期待をし、それを満たす生き方をすればよいだけなのは分かっている。それは彼らに対する放任ではなく、寄り添う適度な距離感を保ち続けているということにつながる。ただ、これがなかなか難しい。アドラー心理学で有名な岸見先生が言っていた言葉を思いだす。「そういうときはお母さん自身が楽しめる趣味が仕事を持ちなさい。暇すぎるから介入するんですよ。」とか、「僕が自動車教習所で路上に出た時、教官がブレーキに足をかけ、いつでも車を止められる状態だけど、本当に必要なときにしかブレーキを踏まなかった。僕は路上教習で急ブレーキを踏まれても仕方ない、危うい場面があったけど、教官は最後までブレーキを踏まなかった。これは勇気。だから僕は感謝している。あの時先手を打って、教官にブレーキを踏まれたら、踏む必要なかったのに余計なことをして!と、僕は教官に対して腹を立てていたと思う」そんな意味のことを言われていた。(言われていた言葉が定かではないので、こういう意味のことを言われていたということで記しています。)

いつでもブレーキを踏める位置に足を置くけど、本当に必要な時までは踏まない」このスタンスを保持することがわたしにはしっくり来る。余計なことをしない。これがなかなか実生活では難しいのだと気づく。でも、気づいたときからまた再スタート。毎日がやり直しの連続。

 

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11才男子の中には、世界と夢が入っていて…

 

 

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8才男子の中には、友達が何人も入っていた。

 

はい。ワタシ、今夜寝たらまた明日から人生やり直します。(苦笑)