駐在帯同日記(アメリカ・ドイツ)

7歳と10歳まで日本産まれで日本育ちの息子達と過ごす、駐在帯同者のつれづれ。

春休みは昭和な感じ。

11日間の春休みがスタートした。学校最後の日、フロリダ、アリゾナ、カリフォルニアなどなど行って来るね〜って旅行に出かけるお友達たちを横目に、我が家はもっぱら地元で過ごす事に。vacationならぬ、staycationのスタート。なんといってもアメリカ生活も余すところ2ヶ月。ここで過ごすこと自体が私達にとっては旅行のようなものなんだな。

シカゴ近辺でオススメの動物園。

Brookfield Zoo

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(ペンギンと出会ったのが嬉しかったようで。ぬいぐるみをプレゼントしたらこの通り・・・)

そして今日は4月2日。あと春休みも3日。で、気づいた事。毎日毎日、誰かが我が家にいる・・・。2軒となりのDavid、おむかいのLeoとLina、りゅうの友達のCaden、こうたの友達のShaineやSammarth、Jamie。裏に住むNaohそしてHashir 。この子達がいつもの顔ぶれ。子どもたちには人種や宗教(ちなみに、カソリック、イスラム、ジューイッシュ、ヒンズー、仏教・神道だよ〜)は関係ない。我が家にはゲームはないけれど、トランポリンがあるお陰だな。子どもたちは、来たい時に来るし遊ぶ。帰りたい時に帰る。ただそれだけ。もちろん、喧嘩もあるある。自分たちで解決できない時にはわたしが呼ばれる事もある。仲裁というよりは、なんちゃって通訳って所かな。わたしは喧嘩に対して評価もしないし、当事者同士に事実を伝えるだけ。たまに、だんだん腹が立ってきて、大声になる時もあるし(修行中)機嫌が悪くなって、勝手にいなくなった子どもを追いかけて、親の元へと急ぎ子どもも含めて話し合ったり。まさに人種や宗教のミックスを除けば昭和なわたしの子ども時代を思い出すかんじ。こういう日常って有り難い。

 

ご近所のナナさんに片道1時間近くドライブして連れて来てもらったのは、ブルックフィールドzoo。。216エーカーあるこの動物園は、ダウンタウンにあるリンカーンパークZOOの7倍!動物も2,300と、2倍近い。動物園に行けたのは楽しかったけど、動物達が故郷に帰りたいとみんな寂しい目をしていたのが悲しかったと涙ぐんでいた。

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(くじゃくも散歩してる。)

遊ぶ事をplaydateと呼んでいて、車社会のアメリカではごく近所以外はほとんど車で移動するため子ども同士の約束だけではなく、親の送迎が必要になるため必然的に親同士も連絡をとりあうことになる。

そして、この春休みお友達のおうちで「お泊まり」することも長い休みの中で楽しみの一つ。それをsleepoverと呼んでいる。11日間の休みの中で、3回のそれを楽しんだ子どもたち。今夜は、親戚以外の家には初めてのお泊まりですとconfy(心地よいものまくら・ぬいぐるみなど)をかかえて5年生の男子が1人うちにきた。さてさてどうなることやら。

 

アメリカ生活もカウントダウンだから、このタイミングを活用してわたしが今できることに注目したら、「子どもたち同士の交流の機会を創ること」ということが腑に落ちて、優先順位1位に生活してきたけど、さすがにわたしもくたくたかも〜。でも他者の期待に沿う為に生きてる訳じゃないから、この疲労感も悪くないな。精神が疲れない分身体が疲れるという類いの疲労感。同時に、ドイツ語の勉強ちっとも進んでないし…。引越し業者さんが第一弾の船便をドイツに送るため来週来るしな...。計画的に家具等の大物の荷物は処分してきたんだけど、なんか抜けてる気もするな。日本人補習校の勉強は量が多すぎて2人とも全く手が付けられてないし。なんて、今できてない事を考えだすと不安になるから、課題の分離をして、自分のできることにフォーカス。優先順位を大切に。優先順位1番だけはできているから、後のできないものはできないと割り切ろう。最近こういう切り替えが前よりできるようになってきたら前より頭がすっきりしてきた。ようするに今フォーカスできないものは捨てるということに慣れて来た気がする。捨てるということができなくて、以前のワタシは全て抱え込んでダウンしちゃってたからね。たった1つだけ自分が自分を満たせる事を行動したらそれが自然に他者の笑顔にもつながっている。自分の行動が、他者の期待を満たそうとすることだったら、それはワタシが自分に無理をしていることで、ワタシと他者、お互いの関係にとってよくない。自分を満たせていたら、それは自然と他者を満たす事にもつながると今は思う。そこにはきっぱりとした潔さがいるんだよな。かなり脱線(笑)

 

結局わたしの中には社会に適応したいという部分と、はちゃめちゃな子どもな部分が共存していて、そのミックスした自分自身が「わたしに適応したい」と着地点を探し続けているんだろうな。昭和な春休みを送りながら、子どもたちや親ごさんとのふれあいを通して、わたしに適応できる着地点を毎日探し続けよう。