駐在帯同日記(アメリカ・ドイツ)

7歳と10歳まで日本産まれで日本育ちの息子達と過ごす、駐在帯同者のつれづれ。

質問と詰問の違いが腑に落ちていなかった件

 

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シカゴ。真夜中のジョンハンコックセンターに雷が落ちた写真らしい。夜中に雷の光が怖すぎてなかなか眠りにつけないと思っていたら、強度の雷雨注意報が出ていた。お陰で今朝は寝不足。

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そして、タイトルの質問と詰問の違いについて。私が次男にしていたの「詰問」は、イメージとして「ジョンハンコックセンターに落ちた雷の写真」だったみたいだ。要するに「質問」と「詰問」は雲泥の差。先日8才の息子が学校でクラス間を移動中に、廊下でクラスメイトからいきなり胸を強く叩かれ、大泣きをしたあと保健室で休んでいたらしい。担任をはじめ、先生方がすぐ駆けつけてくれて、校長先生も対応してくれたのだけど、本人は「なんのこっちゃわからん状態」結局、相手の子どもの勘違いによるとばっちりだったんだけど、それよりも問題なのは次男が帰宅してもそのことをわたしに一言も話さなかったことだった。たまたま我が家に遊びに来ていた子どもからの情報と、これまた、たまたま出会ったクラスメイトの親との会話からこの話を知る事となった。人とのつながりから得られた情報に、有り難さを感じる一方何故、次男はわたしにそれを話さなかったのかを慮った。そして分からなかったので聞いてみた。それは、イロイロ私に問われるのが嫌だったことと、怒られると思ったからだったらしい。ガーン。

 

これまたアドラー心理学岸見先生の言葉が脳裏によみがえってくるのだけど、「質問」とは、お互いが答えを知らないということが前提でなされる相手と対等な関係でなされる会話のこと。「詰問」は、一方が答えを既に知っていると思いこみ、なされる会話であり、要するに相手と対等な関係ではなく上から目線だということ。

 

今回次男が私に言えなかったのは、完全に私のせい。次男の心は私に開いていなかったということを理解した。私は良い聞き役ではなかったのだとすごく反省した。特に最近よく怒っていた。子どもたちが現地校に通うということは、足の届かないプールに放り込まれて、浮き輪を持たずに泳いでいるようなものだと思う。時に、泳いでいる誰かが、浮き輪を渡してくれたり、バナナボートみたいなカラフルな乗り物に一緒に乗ってキャーキャー言ってみたり、もがいているのに知らんぷりされたり、どつかれたり。なのに、安全地帯であるはずの家庭に帰った時、溺れたこと、悲しかったこと、苦しかった思いを私に話せないという環境を自分が創ってしまっていたことを知って、彼に申し訳ないことをしたと心が痛んだ。今から、わたし自身の行動を変えるしかない。なんかほんまに情けないな自分。わたし自身が「寛容」になって、辛抱強く彼らの気持ちを理解するために、彼らがいわんとすることを「聴く」訓練を重ねよう。また、同じ過ちを繰り返さない為にこのブログを情けないけど、備忘録として記してみた。怒りは人と人の距離を遠ざける。

 

言語修得に一番大切なのは、本人自身が、特別自分が良くなろうとしなくても自分のままで安心してここにいても大丈夫だと思える自分を信じる力を持っているということだと思う。その気持ちは同時に、周囲の人間の愛によって確固としたものになると思う。だって、言語は人間同士の距離を繋げるものだと思うから。その心の安定があってからこそ、修得が可能になる。愛と言葉は切っても切り離せない。頭ではこう思えても、実際の生活とリンクさせるのはほんまに難しいもんやな。どれだけ修行すれば行動に現れるのか。

 

トロント大学名誉教授の中島和子さんの著書「言葉と教育」に次の一文があった。「日本人の親は子どもを自己の延長線上のものとして見る傾向がありますから、以心伝心で子どもは親と同じように考え、同じように感じていると無意識のうちに思ってしまいます。」(※本文P49より引用) それを読み、無意識にそう思っていた自分に気づく。子どもは独立した1人の人間だから親とは違うと意識では思おうとしていても、40年来染み付いてきた無意識はそう簡単にははがれない。何度子育てにおいて、同じ過ちを繰り返しているのだろう自分は。

 

ここのところ、たった10ヶ月でこんなにも現地校での生活になじみ、友達もできている子どもたちなのに、「日本語も英語も中途半端になるのではないだろうか」言語修得能力や学習能力向上に関して焦っていた自分を知った。

 

まずは、私が余裕を持とう。言語修得は長期戦。40過ぎた私だってそうだもの。今与えられた環境の中で、ベストをつくす。ないものではなく、あるものに焦点を当てて。まずは、詰問をやめて質問をする。ここからだな。異文化の中でお互いに、成長しつづけられますように。